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千人同心・・1

     八王子千人同心 の印象は屯田兵 と同じである・・との
      思いでいたが、どうもそうじゃないようだ。
      先日、八王子市郷土資料館の 特別展「幕末の八王子ー西洋との接触」を
      見に行った。 ( → 11月24日まで)

       DSCN1738-1.jpg
      
        (写真上はぺりーの肖像画:裏書に、「鈴木鵞湖為家大人於我家取画・錬)
        と千人同心、秋山佐蔵の息子錬造の覚書があり、秋山宅で描かれたと
        言う (浜村家文書)    

        西洋への関心は ペリー の来航前から高かったようで、19世紀前半に
        写されたと見られる世界地図を残している、今の地図と遜色ないものだ。

        ペリー 来航(嘉永六年・1853年) で忙しくなった幕府は、江戸湾防備
        を急ぐ、それを描いた、 「改正海陸御固場所附」 の御固図(おかためず)
        がある。(下)

        DSCN1741-1のコピー

        写真の 赤い→ は 台場 で、斜め右下に三基の台場がある。
        上から 警備担当 会津、忍、川越 の藩主名を記載している。
        同心間にはこのような「御固図」が複数あり、幕府の警備のあり方に
        強い関心を持っていたと言う。
        
        当初、十一基の台場を築造する計画のようであったが、四番、七番は
        未完成、八番から十一番は未着手。 図の三基は一、二、三 か・・・。
        図の  松平識力(川越) 松平肥後守(会津)、松平下総守(忍) が
        一、二、三 か。
        老中の命を受け、東大和にも関係した 江川英龍 が築造を開始した
        と言う。

        千人同心の中には、外国に対する「恐れ」と同時に「関心」を持ち
        積極的に情報を集めている、相当の外国通がいたようだ。
        蘭学を学び、天文、暦法、地理、風俗、医学、更にアヘン戦争の
        研究、軍事科学まで進すみ、「洋学」 へと発展したと言う。
        明治に大した事件もなく、現在に至っているのは、このような人々
        の苦心の結果だろうか。

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